第1部|土台編 ―― なぜローカルファイルなのか、そして安全に使うために
第2章 個人情報とセキュリティの線引き【最重要】
この章の要点
- セラピストのつまずきの正体は「難しさ」ではなく「漠然とした不安」
- 守るべきは3つの原則だけ ── 匿名化/学習に使わない設定/ローカル完結
- 不安を「消す」のではなく、「ルール」に変えて安心を手に入れる
この章を、絶対に飛ばさないでください
セラピストが生成AI活用でつまずく最大の理由。それは、技術の難しさではありません。
「漠然とした不安」
です。
- 「患者さんの情報を入れて大丈夫なのか」
- 「入力した情報が抜き取られたり、学習に使われたりしないか」
- 「施設の規定に触れないか」
医療・介護・福祉は守秘性の高い領域ですから、この不安は正しい不安です。だからこそ、ここを曖昧なまま放置せず、明確なルールに変換します。
不安が魔法のように消えるわけではありません。けれど、「どこまでなら安全か」という線が見えれば、安心して踏み込めるようになります。
大原則は3つだけ ── これで9割は守れる
原則1:個人を特定できる情報は、そもそも渡さない(匿名化・マスキング)
最も確実で、最も大切な原則です。「何を渡してよいか」で悩む前に、渡す前に"個人が特定できる部分"を消す。これだけで、リスクの大半は消えます。
たとえば患者さんの記録を要約させたいとき──
- 氏名 →「Aさん」「60代男性」などに置き換える
- 生年月日・住所・電話番号・ID → 削除する
- 勤務先や固有のエピソード → 一般化する(「都内の○○建設勤務」→「肉体労働従事」)
つまり、
「この文章を他人が読んでも、誰のことか分からない」状態にしてから渡す。
セラピストは普段から、症例報告でこの作業をしています。その感覚を、AIに渡すときにも使うだけです。むしろ、匿名化そのものをAIに手伝ってもらうこともできます(後述の「匿名化アシスタント」プロンプトを参照)。
原則2:「データが学習に使われない」ツールと設定を選ぶ
「入力した情報がAIの学習に使われて、他人の回答に出てくるのでは?」という不安。これは、ツールと設定を正しく選べばコントロールできます。
主要な無料ツールの現状(2026年時点)を整理します。
- ChatGPT(無料版):設定の「データコントロール」から、入力を「モデルの改善に使わない」ようオフにできます。最初にこの設定を確認・変更することを推奨します。重要な作業は「一時チャット」モードで行うのも有効です。
- Claude(無料版):個人向けプランでは、入力を既定でモデル学習に使わない方針です(規約は変わりうるため、利用時に最新の規約をご確認ください)。
- Gemini Notebook(無料版):アップロードした資料やチャットは、Gemini Notebookのモデル学習には使われないとされています。ただし注意点があります。「フィードバックを送信した場合」は、その内容(入力やアップロードを含む)をGoogleのスタッフが確認することがあるとされています。「学習に使わない=人が一切見ない」ではない、という点は覚えておいてください。
ここから導かれる実践ルールはシンプルです。
無料ツールは「学習に使わない設定」にしたうえで使う。 ただし、本当に機密性の高い情報(生の患者データなど)は、そもそもクラウドにアップしない。匿名化した抜粋だけを渡す。
原則3:いちばん安全なのは「手元で完結させる(ローカル)」
クラウドにアップしなければ、情報は外に出ていきません。これが最強のセキュリティです。
本コンテンツの後半で扱うObsidianは、ファイルをすべて自分のパソコンの中だけに保存します。つまり、
- 知識ベースそのものはローカルに置いて安全に育てる
- AIに相談したいときだけ、匿名化した一部分をコピーして渡す
という使い分けができます。「全部をAIに見せる」のではなく、「見せてよい部分だけを切り出して渡す」。この発想が、セラピストにとっての安全と利便性の両立点になります。
セラピスト向け:現場で守るべき具体ルール
原則を、現場の言葉に翻訳します。
① 施設・組織のルールを最優先で確認する 病院・クリニック・施設には、たいてい情報の取り扱い規定があります。生成AIの業務利用が明文化されている場合も、禁止されている場合もあります。個人の判断より、所属組織のルールが先です。まずそこを確認してください。
② 「要配慮個人情報」という意識を持つ 医療・健康に関する情報は、個人情報の中でも特に慎重な扱いが求められるカテゴリです。氏名を消しても、希少な疾患・特異なエピソード・小さな地域などが組み合わさると、個人が特定されることがあります。匿名化は「氏名を消す」だけでなく、「特定につながる組み合わせを崩す」ところまで意識します。
③ 患者情報を"生のまま"クラウドに上げない 評価レポートのテンプレ化も、説明文の改善も、架空の症例や匿名化済みの抜粋で十分にできます。実在の生データを上げる必要は、ほとんどありません。
④ 出力を鵜呑みにしない(臨床判断は人間が持つ) AIは事実と異なることを、もっともらしく書くことがあります(ハルシネーション)。要約や下書きの"たたき台"としては優秀ですが、最終的な臨床判断・医学的記述の正確性は、必ず専門職であるあなたが確認します。これは『概論』でも繰り返した、最も大切な距離感です。
⚖️ なお、個人情報保護法や医療情報の取り扱いに関する詳細は、法律・ガイドラインの領域です。本コンテンツは一般的な実務上の考え方を示すものであり、最終的な判断は、所属組織の規定と関連法令、必要に応じて専門家への確認に基づいて行ってください。
「完全に使わない」も、実はリスク
ここで、『概論』でも触れた視点を改めて。
「危険そうだから、完全に使わない」
という選択にも、中長期的にはリスクがあります。AIを使いこなす同僚・他施設との生産性差が、数年単位で大きく開いていく可能性があるからです。
大切なのは、ゼロか100かではなく、
個人情報を含まない安全な領域から触り始める
ことです。論文、公開ガイドライン、架空症例、自分のメモ──こうした「外に出ても問題のない素材」は山ほどあります。まずはそこから始めれば、何も怖くありません。
入力前に一呼吸おく ── 安全チェックリスト
業務ファイルをAIに渡す前に、毎回この5つだけ確認してください。
- 氏名・ID・連絡先など、個人を特定できる情報を消したか
- 疾患・地域・職業などの組み合わせで、特定されないかを見直したか
- 使っているツールを、「学習に使わない」設定にしてあるか
- 所属組織のルールに反していないか
- 出力を、自分の専門知識で検証するつもりでいるか
このチェックリストが習慣になれば、もう怖がる必要はありません。
試してみるプロンプト(匿名化アシスタント)
次の症例メモから、個人情報や個人が特定されうる情報を、すべて伏字(◯◯)または一般化した表現に置き換えてください。 医学的内容・経過・評価の意味は、できるだけ保ったままにしてください。 置き換えた箇所は、最後にリストで報告してください。
【症例メモ】 (ここに匿名化したい本文を貼る)
この「匿名化アシスタント」を一度GPTs/Gemsとして保存しておくと、毎回安全に下処理ができるようになります。
第2章のまとめ
- つまずきの正体は「漠然とした不安」。それを「ルール」に変えれば安心して進める
- 守るべきは3原則 ── 匿名化/学習に使わない設定/ローカル完結
- 施設のルールを最優先。生の患者データはクラウドに上げず、匿名化した抜粋だけを渡す